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第十三話 感冒吃葯

Author: 春埜馨
last update Last Updated: 2025-07-10 19:06:53

「シュウリィ〜ン。これどこにある?」

「え?あ、蘭瑛それは…、そこかな」

蘭瑛はこの宋長安の御用医家になった為、|秀綾《シュウリン》たちが働く医局に身を置くことになった。医局長だった|梓林《ズーリン》がこの世を去り、健全な医局に稼働させようと、男性ではあるが女性らしい振る舞いをする|江《ジャン》医官と|金《ジン》医官、秀綾と四人で掃除をしていた。

「⭐︎|阿蘭《アーラン》と|阿綾《アーリン》、そろそろお茶にしなぁ〜い?」

(⭐︎蘭瑛と秀綾を「阿」をつけてちゃん付で呼んでいる)

「いいわね〜、賛成〜!」

「だーめ。あともう少しで終わるから、そこにある芍薬と葛根と甘草、二段目の葯箱に仕舞っといて」

しっかり者の秀綾が、サボりがちな年上の江医官と金医官にダメ出しをする。すぐサボろうとする子どものような、このどうしようもないオカマ医官たちを見て、蘭瑛はクスクスと笑う。

「あんたも笑ってないで、早く仕舞って」

「ふぁ〜い。秀綾先生〜!」

蘭瑛はそう言って、残りの薬草仕舞いに勤しんだ。

そうしていると、以前は全くこの医局に足を運ぶ者はいなかったようだが、六華鳳宗の新しい医者が来たと噂が噂を呼び、「具合が悪くて…」と薬を貰いに来る者や、中の様子を見に来る者がちらほらと現れるようになった。蘭瑛は喜んで問診や調薬をし、症状に効くツボを教えたり、食事や睡眠、冷温効果などを伝え、まるで鳳明葯院で患者を診るように振る舞う。すると、たちまち医局は大盛況となり、秀綾もまた流医としての心得を取り戻したようで、不眠や予防医学に精を出した。忙しさに慣れていないオカマ医官の顔が、生気を取られたように疲れ切っていたことは言うまでもない。

医局の怒涛の忙しさを終え、外に出るともう日は暮れていた。

見上げた今日の星空は、一段と綺麗だ。

(それにしても、急にあんな押し寄せるなんて。ここにいる人たちは今までどんな風に過ごしていたんだろ…)

蘭瑛は今日のことを振り返りながら疑問を抱く。しばらく歩きながらぼんやりとしていると、まだ使用している客室の部屋の扉の前で梅林が立っているのに気づいた。

蘭瑛は驚き、何かあったのかと梅林に駆け寄る。

「梅林様!どうされたのですか?こんな時間に」

「あら、蘭瑛。ごめんね、夕餉時に。本当は…言わなくていいと言われたんだけど…」

少したじろぎながら、梅林は頬に手を当てて言葉を続ける。

「…永憐様の具合が悪いのよ。凄い咳込んじゃっててね。昨日から食事も取れなくて、休んでらっしゃるのだけど…。何か薬でも貰えたらと思って、待っていたの」

蘭瑛は症状を見ないと何も施しようがないと言い、梅林と一緒に永憐の所へ行ってはダメかと尋ねる。

「そうね…、藍殿の中に入れても、永憐様の寝室に入れるか…。まぁ、蘭瑛ならきっと大丈夫よね」

「大丈夫です!何を言われても、強引に問診しますから!」

蘭瑛はそう言って、部屋に置いてあった葯箱を持ち、梅林と一緒に藍殿へ向かった。

藍殿に到着すると、外の塀まで永憐の苦しそうな咳込む音が聞こえてくる。これはただの風邪ではなさそうだと蘭瑛は悟り、梅林の後に続いた。

永憐の部屋の扉の前に立ち、梅林が声を掛ける。

「永憐様、入りますよ」

梅林が扉を開け、二人は奥の部屋へと足を踏み入れる。

先日、深傷を負った時に寝かせてもらった部屋だ。

中へ進むと、寝台の上で長い髪を垂らし、上半身だけを少し起き上がらせるような姿勢で、激しく咳込む永憐の姿が見えた。

「永憐様、蘭瑛を連れてきましたよ。やはり、診てもらった方が…」

「帰れ…」

永憐の掠れた弱々しい声が、梅林の言葉を遮る。

「でも…」

「出ていけ…。移るだろ…ゴホッ、ゴホッ!」

口調の強い永憐は、どうやら機嫌が悪いらしい…。

しかし、蘭瑛は永憐の言葉など無視して、無言のまま永憐の寝台の前まで行き、履き物を脱いで永憐の寝台に上がる。

そして、永憐の上に跨うようにして座り、永憐の前髪を上げた。

「何をする!ゴホッ…」

「喋らないで」

そう言いながら、蘭瑛は自分の額を貼り付けるように、永憐の額に引っ付けた。近くで見ていた梅林は、驚きで空いた口を塞ぐ。永憐は突然のことに思わず固まり、目を見開いた。

以前も同じようなことがあっただろうか。

唐突に触れ合い、時が止まる瞬間が…。

蘭瑛は額を離し、永憐の顔の前で呟く。

「凄い熱。顔色も良くない…」

「大したことない…」

「何が大したことないですか!熱もあって、食事もろくに取れないくせに」

蘭瑛は永憐の熱くなった首元に右手の甲を当てる。

「勝手に触れるな…ゴホッ、ゴホッ」

永憐はそう言って、蘭瑛の右手を掴む。

永憐の掠れた声から少し怒りを感じた。

しかし、蘭瑛も負けじと言い返す。

「永憐様だって、こないだ私の顔に触れたじゃないですか、何も言わず。それに今も、その手」

永憐は何も言い返せないといった様子で黙り込み、蘭瑛の掴んだ右手を放り投げるように離し、視線を横に逸らした。

蘭瑛は続ける。

「はい、口を開けてください」

「なぜだ?」

「喉を診るんですよ」

永憐は応えないといった様子で、顔を横に背けたままだ。

蘭瑛は永憐の顎をグッと持ち、「あー」と言って無理矢理永憐の口を開けさせる。

梅林は「まぁ」と、次は声を漏らしてしまう。

もし、今この二人の姿を寝台の薄紗越しから眺めたら、熱い口づけをしているように見えるだろう。

永憐は蘭瑛の口元にある手を払いのけ、口を大きく開いた。

「やればできるじゃないですか。はい。ありがとうございます。何か厄鬼に触れたりしましたか?喉が異常に真っ赤で白い膿が付着してるので、普通の季節的な風邪ではなさそうですが…」

「…昨日、玄天遊鬼と鉢合わせた…。ゴホッ、ゴホッ!」

蘭瑛はその言葉に驚愕する。

永憐は咳き込んだあと、掠れた声で続ける。

「玄天遊鬼から放たれた白い煙を吸い込んだ…」

それを聞いた蘭瑛はまた唐突に永憐の胸に手を当て、肺の音を確認した。永憐はあまりに辛すぎるのか、もう取り立てて蘭瑛の手を払いのけたりはしなかった。

「分かりました。すぐに特殊な薬を使ってきます。少し横になって休んでいてください」

蘭瑛はそう言い残し、永憐の上からすっと離れ、寝台を降りた。

永憐はぐったりと横になり、離れた蘭瑛を一瞥したあと、腕で目元を覆った。

それから一註香が過ぎ、蘭瑛は調薬した薬と自分で作った六華鳳宗秘伝の喉飴を持って、再び永憐の部屋を尋ねた。

永憐は相変わらず横になったまま、咽せるような咳をしている。蘭瑛は「お待たせしました」と言って、咽せ過ぎて嗚咽が出ていた永憐の背中をそっと摩る。

「調薬した薬と、私が作った喉飴を持ってきました」

「…私は、誰かが作った物は食べない」

永憐の一言に、摩っていた手が止まった。

蘭瑛の額に青筋が浮き出る。

「そうですか。いいですよ別に。薬を苦くするだけなので」

そう言いながら、蘭瑛は寝台の横にある小机の上で、調合した薬を湯に溶かす。六華術の一つ『法薬の術』で更に苦味を追加した。

(文句を言う奴は、苦い薬でも飲んでろ!この堅物が!)

蘭瑛は嘘くさい笑みを浮かべて、永憐に声を掛ける。

「永憐様、薬だけ飲みましょう。少しは楽になりますから」

永憐は仕方ないといった様子で、ムクっと起き上がる。

蘭瑛は薬の入った茶杯を、永憐の前に差し出す。

「一気に飲み干した方がいいですよ」

「……」

永憐は渋々、茶杯を口元に当てる。そして、勢いよく一気に飲み干す。しかし、想像以上の苦さだったのか永憐は蹲り、今にでも茶杯を割るような勢いで震えている。

「水飲みます?」

蘭瑛がそう聞くと、「くれ」と言うように永憐は無言で茶杯を持った手を差し出した。

蘭瑛はそこに水を入れ、永憐はそれをまた勢いよく飲み干した。

茶杯を受け取り、蘭瑛は盆にそれを乗せる。

永憐は無言で、また寝台に横になり壁の方を向く。

苦い薬を飲まされたことに、どうやら腹を立てているようだ。

蘭瑛もこれ以上話す気になれず、小机の上を片付ける。

「では、今日はこれでゆっくり休んでくださいね。また明日、様子を見に伺います。おやすみなさい」

永憐からの返事は何も無かったが、蘭瑛は永憐の腹まで掛かった薄い掛け布団を、肩まで掛けてやる。そして、背中にそっと手を当てて寛解の術を施し、飴の入った袋を小机に置いて、静かに部屋を後にした。

永憐は誰の気配も感じなくなったあと、静寂で無機質な天井を見上げるように仰向けになった。

水を飲もうと起き上がり、寝台の横にある小机に目をやる。

すると、蘭瑛が置いていった飴の入った袋が目に入り、水の代わりにその飴を口に含んだ。

永憐はまた横になり、溜め息を吐きながら睫毛を震わせ、静かに瞼を閉じる。

奥深く広がる暗闇に甘味が沈んでいくかのように、力無く寝台に身を委ねた。気分が憂鬱になり、だんだんと奥底に眠る過去の記憶が鮮明に蘇ってくる。

あれは正しい考えだったのか、それとも大きな過ちだったのか━︎━︎━︎。

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